僕にとって旅は生きがい。
20歳からの10年間、最もお金を掛け、仕事以外で最も時間を捧げたのが旅。
人生の3分の1は「旅が好きです」と言ってきた。
ひとり旅、友達との旅、大切な人と行く旅、出張という名の旅、様々な形の旅をしてきた。
初めての”ひとり旅”は20歳の時に行ったオーストラリア・パース。正確にはパースに住んでいる親戚家族を訪ねに行ったので、半分ひとり旅。
それでも、田舎育ちで引っ込み思案だった僕にとっては緊張しながら踏み出した大きな一歩。
少しだけ僕の世界が広がった気がした。
ネットで検索すれば、写真も動画もすぐに見つけることができる時代。テレビでも毎日のように世界のどこかの国について特集をやっている。
でも、自分で見た”世界”は違った。
キラキラしている部分はより鮮やかな色で目に映り、一方でテレビには映らない厳しい現実を突きつけられた。
「僕が知っている世界は本当に小さい。もっと自分の目で、耳で、足で世界を見たい。」
そう強く思い、特に自分でお金を稼ぐようになってからは、1日でも時間があれば興味を持った場所に足を運ぶようになった。
映画の世界のような美しい景色と美味しい食とお酒に舌鼓を打つ旅。
国際結婚した海外に住む友達を訪ね、昔話に花咲かせながら公園でまったりする旅。
大自然のど真ん中に身を置き、自分がいかに小さい存在かを思い知らされ、悩んでいたことがどうでも良くなる旅。
純粋な目をした子供たちに触れ、人生を楽しむことを思い出す旅。
ごみ山でごみを拾って暮らす人々を目の当たりにし、生きることについて考えさせられる旅。
どの旅も、その旅だからこそ見せてくれる一面があり、得るものが全く違い、優劣をつけることができない。
でも共通しているのは、「見たことのない景色、知らなかった現実、触れたことのない文化、食べたことのない食べ物」が、時には僕の感性を心地良くくすぐり、時には心に激しく突き刺さってくること。
自分の中の”常識”とは合わないことに対して、嫌な気持ちになって帰りたくなることもある。
けど、自分にとっての”非常識”に触れることで、風呂上がりに柔軟ストレッチするかのように、僕の”常識”が柔らかくなり、僕自身スポンジ化してきている気がする。
10年前の僕より今の僕の方が圧倒的に、世界を吸収する力は上がったと思う。
それに、いわゆる”お金と時間を掛ける旅”だけでなく、たとえ自分が住む街であっても、いつもと違う道を歩くことですら、僕にとっては立派な旅。
距離なんて関係ない。支払う金額なんて関係ない。
”いつもと違う何か”を求めて、一歩踏み出すことが旅。
自分が生きる世界をもっと知りたいという思いを持って歩き出すだけで、モノの見え方は大きく変わる。
僕にとっては”毎日が冒険”。
意識を変え、冒険することで、日常が非日常に変わる。
そうやって非日常の日々を過ごすことを日常にしていきたい。
そして、旅をすることで、自分が本当に好きなことに気づくことができる。折角の旅の時間に、やりたくないこと・中途半端なことはしない。
そうやって旅を続けていくことで、自分の好きをそぎ落としていって、ワクワクする本当に好きなことだけをやっていく人生にしたい。
これが僕が旅する理由。
よしかつ
すごくいい文章ですね!
りおさん、コメントありがとうございます!そう言っていただいて嬉しいです!