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シンガポールで暮らす

シンガポール人の母がいなくなって16年が経ちました。

16年前、僕が16歳の時に、シンガポール人の母が亡くなりました。

とても個人的な話なのですが、母がいた証を文字としても残しておきたいという思いがあり、「母と過ごした時間」と「母がいない時間」が同じになった今、これまでについて振り返ってみたので、読んでもらえると嬉しいです。

母と父の出会い

母と父は40年ほど前にシンガポールで出会いました。

父がシンガポールで働くことになり、その時、母が父に英語を教えることになったのが最初の出会い。

ここでの詳細は、恥ずかしいのか、両親は全然教えてくれなかったので分かりませんが、2人は仲を深め、父が帰国となった際に結婚することになり、シンガポール人の母は父が住む富山県氷見市へ嫁ぐことになりました。

日本語を話すことができない外国人

今ですら、日本で外国人に慣れていない方たちを多く見かけますが、40年以上前といったら、さらに外国人に対する”免疫”がなく、外国人は奇異の目で見られていたはずで、そんな時代の中、母も例外ではなかったと思います。

日本の中でも田舎である富山県氷見市。当時、英語を話す人なんてほとんどいません。

そんな異国の地で母は、必死に日本語(しかも富山弁)を覚え、3人の子供を育て、そして、仕事をしていました。

僕には想像できないほどの苦労があったと思います。

突然のガン宣告、そして、、

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僕が記憶にある年齢になった時には、日本語をある程度使いこなして、パートタイムで働いたり、婦人会で活動したり、英会話教室を開いたりと色々な取り組みをしていました。

そして、僕が小学生高学年になった頃、母は夢であった自分の喫茶店を開きました。

喫茶店の名前は「蘭」。母が好きな花で、シンガポールの国の花。

今でも蘭を見かけると母の顔と母のお店の記憶が浮かんできます。

母が夢を叶えたことに対して、とても嬉しかったことを覚えています。

ただ、それと同時に、母との時間があまり取れなくなったことで、寂しい思いもしていて、複雑な気持ちでもありました。

それから数年が経ち、そんな日々がずーっと続くのかななんて思っていた時、父から突然、母がガンと診断されたと聞かされました。

 

「えっ、、、」

 

頭が真っ白になって、何も考えられなくなりました。

それまで身近な人が重い病気にかかったことがなく、また、病気に関する知識も全くない状況だったので、ただただ不安でしかなく、よくわからないうちに、母の入院生活が始まりました。

僕は、母が入院していることを友人たちに知られたくなくて、部活帰りに「今日はちょっとあっち寄って帰るわー」みたいな感じで友達とわかれ、病院に通っていました。

病院に行くと、必ず母がいる。

悲しいようで、いることに対して嬉しい気持ちもありました。

ただ、弱っている母を見て、家への帰り道で泣いたこともありました。

シンガポールにいる兄弟や従兄弟たちが一度駆けつけてくれましたが、今のようにインターネットで気軽に連絡できる時代ではなく、あまり状況を頻繁に伝えることができていなかったのでとても申し訳ない気持ちでした。

それからどれくらいの期間、母が入院していたかは覚えていないのですが、一度退院することができました。

「お母さんが帰ってくる!」

めちゃくちゃ喜びました。

そして、僕はその時、「絶対普段通りに過ごすんだ」と固く決意していました。

できるだけ考えないようにはしていましたが、この時間がいつまで続くか分からないということは頭では理解していました。

それなら、「いつも通りの日常を母と過ごしたい」「いつものように一緒に食事したい」「いつものように褒めてもらいたい」「いつものように喧嘩したい」

そんなふうに思い、母に対して特別優しくするといったことはせず、普段通りに接しました。

穏やかな日常が戻ってきて、一瞬、母が重い病気だということを忘れる楽しい日々でした。

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ただ、そんな日々はあっという間でした。

 

美容師の姉がお風呂場で母の髪を切ると、物凄い量の抜け毛があるなど肉体的な変化が出てきました。

見たくない現実。考えたくない事実。

母がいない時に、そのことについて、兄弟たちで話をして、みんなで泣いていました。

そして、2度目の入院生活が始まり、その後すぐに一番来てほしくない時が来てしまいました。

 

いつも通り、学校帰りに病院に行こうと思っていたとある平日。

担任の先生から呼び出され、母が危ないとの連絡を受け、病院へ。

既にみんなが揃っていて、僕は母の近くに駆け寄りました。

ただただ「お母さん、お母さん」と呼び続けていたと思います。

すると、母は

 

「つらいよ、、、死にたくないよ、、」

 

と涙を流し、それから間もなく、僕の大好きな母は息を引き取りました。

最後に僕の名前を呼んでほしかったな、、なんていう、わがままかもしれないけど寂しさも感じました。

でも今思えば、まだまだ若かった母が死に直面した時、相当怖かっただろうから仕方ないよなと思っています。

その時、家族たちは号泣していましたが、僕はなぜか全く涙が出ませんでした。

「何で涙が出ないんだろう?悲しくないのかな?」

なんて思いましたが、とにかくその時は何も考えることができませんでした。

 

涙が止まらなく出るようになったのは数日後でした。

母の母国で暮らす。

「母が日本人でない」

僕にとっては、ただそれだけでした。

ハーフであることについて、母のシンガポールについて、興味をもったり、深く考えたりすることはあまりありませんでした。

 

母がいなくなってから16年。

僕は今、シンガポールにいます。

 

社会人になり、メーカーの海外営業として、文字通り世界中を飛び回り、世界中の人たちと交流するようになって、彼らの文化や考え方について触れると、日本人である自分、そして日本人とシンガポール人のハーフである自分という自分のアイデンティティについて意識するようになり、自分のルーツの一つであるシンガポールについて、もっと知りたいという思いが出てきて、3年前にシンガポールにやってきました。

「僕がシンガポールにいることを知ったら、母はどんな反応をするんだろう?」

「母とシンガポールトークをしてみたかったな」

なんて思うこともたまにあります。

 

何にも知らない日本のど田舎に嫁ぎ、若くして亡くなった母。

辛いこと、悔しいこと、いっぱいあったと思います。

でも、今でも母のことを覚えていて、「すごく頑張り屋さんだったよ」なんて言ってくれる方もいます。

家族や親戚たちも母のことが大好きです。

そして、母と父が苦労しながら、子どもたちを育ててくれたおかげで今の僕があり、母と父が出会ってくれたおかげで、僕は今、日本とシンガポールを繋ぐ存在になりたいという目標を持つことができているので、母には本当に感謝しています。

ありがとう、お母さん。

これからも見守っていてね。

mysingaporeanmotherよしかつ

DanSingapore

 

 

 

 

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