2年前の2016年3月、僕の母方のおばあちゃんが亡くなりました。
おばあちゃんは中華系シンガポール人で、シンガポールで生まれ、シンガポールで育ち、シンガポールで一生を終えました。
かなりワイルドで波乱万丈な一生だったみたい。
一方、僕は日本にずっと住んでいたので、中々会う機会がなく、実際に会ったのは両手で足りる回数だけ。
そんな僕にとってのおばあちゃんの記憶は電話。
シンガポールから遠く離れた富山の片田舎に住む娘(僕の母親)から数ヶ月に1回程度電話を掛けていました。
20年以上前なので、ネット電話はなく、高い国際電話なので、そんなに長くは話せません。
それでも、祖母との電話の時はいつも呼ばれて少しだけ話をしていました。
僕はその時は英語がほとんど話すことができなかったので、「Hello, this is Yoshi. How are you?」と毎回定型文の繰り返し。
一方、祖母も英語が堪能ではなかったので、「Oh, Yoshi. Come to Singapore!」といった感じで言ってきて、それに対して僕は「Ok, Ok」と言ってやりとりをしていました。
言葉数はかなり少なかったですが、それでも気持ちは通じ合っていた楽しいひとときでした。
「おばあちゃんが亡くなったよ」
仕事中に叔母から連絡を受けました。
「え、、、」
仕事も手につかず、急遽休みを取ってシンガポールへ。
シンガポール人の8割が住んでいると言われているHDB(公営団地)に、おばあちゃんも住んでいました。
HDBで人が亡くなると、その1階の共用スペースに幕が張られ、家族、親戚と一緒に故人を偲びながら、一晩を過ごします。
一般的かどうかは分かりませんが、日本の結婚式のように写真のスライドショーで思い出を振り返るといったこともします。
写真を見ていると、涙が止まりませんでした。
一緒に暮らしたこともなく、会った回数もかなり少ないおばあちゃんですが、会った時は最大限の笑顔で抱きしめてくれていました。
「あー、僕はこの人の孫なんだ。」
そう強く感じる瞬間。
電話と同じで言葉数は少ないけど、「大きくなったね!」と、小さい頃の身長を手のジェスチャーで表現しながら、とても嬉しそうに話してくれていました。
晩年は身体を思うように動かすことができなくなっていたおばあちゃん。
最後に話せなかったのは、正直悔しかった。距離を恨みました。
5249km
日本とシンガポールの距離
僕とおばあちゃんの距離
今は自分で稼いだお金で飛行機に乗って、すぐに行き来できる距離だけど、小さいころはめちゃくちゃ遠かった。
でも気持ちは近かった、って思ってる。
「おばあちゃん、あなたの子供たちや孫たちは日本とシンガポールで元気にやっているよ。僕は今おばあちゃんと同じ国で暮らしているんだよ。これからもみんなを見守って、応援しててね。」
よしかつ(@4shikatsu)
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