こんにちは、よしかつ(@4shikatsu)です。2017年からシンガポールに住んでいます。
今日は世界中の人たちが集まるシンガポールにて「グローバル人材」について考えてみました。
先日、平日真っ只中に街の中心に向かうべく電車に乗り、ドア付近に立っていました。
すると、杖をつきながら歩くのが大変そうな中華系のお爺ちゃんが電車から降りるのをインド系のおじちゃんが手伝っている姿を目にしました。
それを見て僕は助け合いの社会っていいなーと感じ、ほっこりしました。
が、そう感じてすぐに、ちょっと違和感を感じました。
「んー何だろう?」
違和感の正体
しばらく考えた結果 、自分がやけに”民族”を意識しているからだという結論に至りました。
先程の光景が中華系同士やインド系同士だったら、特別ほっこりはせず、違う民族だからこそ、印象的に感じたのだと思います。
様々な民族が共存しているシンガポールといえども、同じ民族同士が集まって生活しているケースが圧倒的に多いのが現状です。
「チャイナタウン」や「リトルインディア」といった街が存在しているのが、それを表していると思います。
だからと言って仲が悪いとかそういうことではなく、適度な距離感を保って生活しているように感じます。
僕の職場には中華系、インド系、マレー系、日本人がいますが、特に”変な壁”は無く一緒に仕事を進めていますし、街を歩いていても複数の民族が混じったグループをよく見かけます。
でもやはり生活習慣の違い、宗教の違いなどから”一定の壁”はあるように感じます。
そんな中で、日本人が圧倒的に多い日本で30年近く生きてきた僕にとっては、民族を超えた助け合いを目にすると、僕の意識は「助け合い」にではなく、「民族の違い」に行きます。
シンガポールに来て4ヶ月が経ちましたが、未だに1つの国に、かつこんなに小さな国に、これだけ多様な民族が一緒に住んでいることに正直毎日驚いています。
でも考えてみれば、今の時代、どこの国に行っても色々な民族が1つの国で生活しているのは当たり前の光景です。
それなのに、民族の違いにやたら気を取られている僕は、いくら海外旅行にしょっちゅう行っていても、いくら海外に住んでいても、いくら海外に関わる仕事をしていても、まだ真の意味でのグローバル人材にはなれていないのだろうなと思います。
グローバル人材とは?
「じゃあ、グローバルな人材って具体的にどんな人のことを指すのだろう?」
たまに「わが社はグローバルに事業展開しているので、わが社に入ればグローバル人材になることができます!」といった感じの謳い文句で採用活動を行っている会社を見かけます。
でも、それを見る度に少し首を掲げてしまいます。
グローバルな事業で海外と関わるチャンスがあることはあくまでグローバル人材になるキッカケの1つに過ぎません。
- 相手を同じ人間の個人として見ることができる
- 相手の文化や考えを積極的に理解しようとする姿勢でいる
- コミュニケーション能力がある
相手を同じ人間の個人として見ることができる
肌の色など見た目が違う、話す言葉が違う、宗教が違う人を見ると、反射的に別の世界の生き物かのように拒絶したり、高い壁を作ったりする人がいます。
そりゃあ、日本人ばかりの世界で生きていたらビックリはします。
でも、同じ日本人であっても、周りを見渡したら見た目は似てても、性格や考え方は自分と違う人ばかりです。
肌の色、言語、宗教といった違いも単なる個人の特徴と捉えて、同じ目線でコミュニケーションを取ることができるというのが第一の要素です。
相手の文化や考えを積極的に理解しようとする姿勢でいる
世界中には自分が知らない文化が数多くあり、自分と違う考え方を持った人たちが山のようにいます。
日本での長さの単位はメートル法が一般的ですが、他の国ではヤードを使う国もあり、同じ長さを表すにしても違う表現になります。
自分のモノサシで世界のモノゴトを判断しようとしても、そもそも目盛が異なり、全く理解できないこともあります。
そういう時は相手についての理解が不足しているのだと思います。
相手の文化や考えの根底にあるものを理解することで、何故相手がそのような行動を取るのか、そのような考えを持つのかを初めて理解できるようになると思います。
そして何よりも理解しようとする姿勢、これが第2の要素です。
コミュニケーション能力がある
「コミュニケーション能力がある」と言うと、明るく元気な人をイメージする方も多いと思いますが、それは一部に過ぎません。
文化や考え方が違う人たちと「思いのキャッチボール」を行うためにどうするのが良いかを常に考え、実践している人がコミュニケーション能力を持っていると言えると思います。
また、「気持ちがあれば伝わる!」も限界があるので、ある程度のその国の言葉を操る能力も必要です。
日本人の駐在員で、その国の言葉を積極的に覚えようとしない人をたまに見かけますが、その国の言葉を積極的に学び、使うことが、相手の理解にも繋がります。
まとめ
自分との違いは、あくまで個人の特徴であり、同じ人間であることには変わりありません。
同じ目線で、相手のことを積極的に理解しようとし、「思いのキャッチボール」を続けることができる人、そんな人がグローバル人材です。
いくらグローバルに事業展開している会社に入ろうが、自分の意識がその方向に向いていなければ、グローバル人材には一生なれません。
「ドメスティックで何が悪い!」という声も聞こえてきそうですが、悪くありません。
ただ、移動手段やネットの発達で、日に日に近くなっている世界を楽しまないのは勿体無いと僕は強く思います。
グローバルな視点で考え、動くことで、プライベートも仕事もより充実したものになるはずです。
僕は折角今、多民族国家であるシンガポールに住んでいるので、ここでの生活を通して、グローバルな感覚を養っていきます。
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